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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 内に宿りしDNA
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2011/09/dna.html
12300;普通」ってなんだろ、そんなことを考えさせてくれた撮影だった。 津波で廃墟となった原町の老人ホームでの撮影も終盤を迎えた頃、一台の軽自動車が入ってきた。震災から3ヶ月以上も過ぎていたこの頃、津波の被害が甚大だったこの地域は一種の観光地と化しており、地元の車のみならず他県ナンバーの車が少なからず往来し、写真撮影やら記念撮影をするのが流行っていた。写真家という「言い訳」を使って他人の敷地をズケズケ歩いている僕が文句を言える身ではないのだが、それほど往き交う多かったため、その一台の軽自動車が入ってきても「また観光客か」くらいにしか思わず、入り口脇で撮影を続けていた。しかし降りてきた一人の若い女性は施設に目もくれず私の方へ寄ってきてこう尋ねた。「何をされているのですか」と。それまで僕は写真家特有の怪しい動きで地を這って天井を撮影していたので、...撮影の日は雨にもかかわらず嫌な顔を一つせず撮影に臨んでくれた。少しでも浜の雰囲気をだそうと波に近づいてもらったら背後の波が気になるようで、時折不安そうな顔を浮かべていた。 小高は野馬追祭りで有名だが、東京の人間でなくともӌ...
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 10月 2011
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2011_10_01_archive.html
総大将出陣祝いの宴でのこと。勢揃いした相馬武士たちは各々が鎮魂や復興など様々の想いを胸に秘めこの日に臨んでいた。特別な年に開催される野馬追、武士たちは一様に険しい表情とピリピリした緊張感を発していたが、中でも一人異様なまでの緊張感、いやスナイパーの殺気にも似たようなものを周囲に放っていた人がいた。その人は宇多郷の螺役長をやってらっしゃる佐藤信幸さん。眼光は鋭く、髪にはアイロンが当ててあり、髭面。一瞬カタギかどうか見紛うような外見で、どちらかと言うと典型的な武士のナリではないかもしれないけれど、現代に武士がいたらこんな感じなのかと思わせる。 自分の中では「この人」と決めたにも関わらずなかなか声をかけられない。スキがないこともさることながら、やはりメディアからも注目を集めているようでインタビューで大忙し。そうこうしているうちに式も終了してしまい、宵の宴に入る前の一服時に思い切って声をかけてみた。 そして今は古より伝わる螺役の技術を後世に伝えることに励んでいる。その思いは震災後も変わることがなかった。4月16日、宇多郷の螺役は中村神社に集い月例の稽古を行ったz...放射能と刃を交えたらそこは相馬武士&...
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: カッコイイ武士
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2011/10/blog-post_18.html
総大将出陣祝いの宴でのこと。勢揃いした相馬武士たちは各々が鎮魂や復興など様々の想いを胸に秘めこの日に臨んでいた。特別な年に開催される野馬追、武士たちは一様に険しい表情とピリピリした緊張感を発していたが、中でも一人異様なまでの緊張感、いやスナイパーの殺気にも似たようなものを周囲に放っていた人がいた。その人は宇多郷の螺役長をやってらっしゃる佐藤信幸さん。眼光は鋭く、髪にはアイロンが当ててあり、髭面。一瞬カタギかどうか見紛うような外見で、どちらかと言うと典型的な武士のナリではないかもしれないけれど、現代に武士がいたらこんな感じなのかと思わせる。 自分の中では「この人」と決めたにも関わらずなかなか声をかけられない。スキがないこともさることながら、やはりメディアからも注目を集めているようでインタビューで大忙し。そうこうしているうちに式も終了してしまい、宵の宴に入る前の一服時に思い切って声をかけてみた。 そして今は古より伝わる螺役の技術を後世に伝えることに励んでいる。その思いは震災後も変わることがなかった。4月16日、宇多郷の螺役は中村神社に集い月例の稽古を行ったz...放射能と刃を交えたらそこは相馬武士&...
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: かけがいのない存在
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2011/10/blog-post.html
12290;不安な一夜を明かした後やっと祖母と連絡がついた。奈那ちゃんは祖母にしがみつき襲い来る津波の奔流に耐えていたが、祖父は眼の前で流されてしまったと言う。 責任感が強く、時には育児より仕事を優先してきた米澤さんは、祖父の葬儀を終えた翌日から仕事を再開した。震災後は疲労と心労が重なりお腹の張りを訴えて病院に入院もしたが、. 那 ちゃんは震災以後、度重なる余震の度に怯える毎日だった。大災害で心に深い傷を負ってしまったが、保育園に再び通園するようになるとだいぶ落ち着きを取り戻し、. 次女の舞ちゃんは震災前と変わらず人見知り娘だが、性格的にはちょっかいを出したりするお調子者だ。撮影の際も最初はまともに撮らせてくれなかったが、2ロール目に入る頃には変顔やら不思議な顔やらをしてくれた。 自宅で可愛い娘と息子に囲まれた米澤さんに「誇りは何ですか」と尋ねた。写真家の嫌らしい予測というか期待通りと言うか、米澤さんの答えは「震災以前は仕事だったけれど、今は. 地元原釜についても伺うと「生まれ育った浜が嫌いだった」とのこと。震災後も相馬に残り続け. 魂ノ記録~「わたしの誇り」.
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 原風景
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2011/09/blog-post.html
霧間に姿を見せる、太古から姿を変えずにそびえる山々と、先人が切り拓いた畑々。 山は、木々は、草花は、今一体何を思っているのだろうか? ラベル: 魂ノ記録~「わたしの誇り」. 魂ノ記録~「わたしの誇り」. 写真家。ビルマ移民の写真プロジェクトを製作するかたわら、東日本大震災後の東北に生きる人々の魂を撮影する『私の誇り』に取り組み始めた。 Photographer based in Tokyo.He`s been woprking on a photo documentary about Burmese migrant. Simple テンプレート. Powered by Blogger.
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 9月 2011
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霧間に姿を見せる、太古から姿を変えずにそびえる山々と、先人が切り拓いた畑々。 山は、木々は、草花は、今一体何を思っているのだろうか? ラベル: 魂ノ記録~「わたしの誇り」. 12300;普通」ってなんだろ、そんなことを考えさせてくれた撮影だった。 津波で廃墟となった原町の老人ホームでの撮影も終盤を迎えた頃、一台の軽自動車が入ってきた。震災から3ヶ月以上も過ぎていたこの頃、津波の被害が甚大だったこの地域は一種の観光地と化しており、地元の車のみならず他県ナンバーの車が少なからず往来し、写真撮影やら記念撮影をするのが流行っていた。写真家という「言い訳」を使って他人の敷地をズケズケ歩いている僕が文句を言える身ではないのだが、それほど往き交う多かったため、その一台の軽自動車が入ってきても「また観光客か」くらいにしか思わず、入り口脇で撮影を続けていた。しかし降りてきた一人の若い女性は施設に目もくれず私の方へ寄ってきてこう尋...江井さんは外見は今時の若い娘だけれど、性格は素直でノンビリしているまさしく東北の「フツー」の娘。 小高は野馬追祭りで有名だが、東京の人間でなくとも、東北の人間でも...写真家。...
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 8月 2011
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2011_08_01_archive.html
ラベル: 魂ノ記録~「わたしの誇り」. 今回のプロジェクトで高校生の写真を撮りたいと漠然と思っていた。そして意中のモデルはサッカー部員だった。しかし道端でサッカー部員に会うことはなく、痺れを切らして直接コンタクトをとったのが小高工業サッカー部だった。小高工業は校舎が警戒区域内にあるため現在は相馬を中心に福島、郡山等でサテライト授業を行なっている。部員は各々の校舎に散り散りになっているが、中心校がある相馬が部員数が多く、3年生は7人いる。 齋藤くんはゲームキャプテンを務めており、チームのムードメーカー。震災後、齋藤くんが中心となってバラバラになっていた部員に連絡をとって部員たちを繋げた。だが各々の家庭の事情を最優先し、福島に残るよう説得することはしなかった。それでも3年生は13人の部員が残った。 だがふとした瞬間、隣人の物音が筒抜けの仮設住宅で「なんで自分はここにいるのだろう?」という感覚に陥ることがあるという。 もちろん、私は家に帰ることができるし、震災で失った人もいないので、齋藤くんの思いと並列して語るのは失礼かもしれない。しかし齋藤くんも言って...そんな齋藤くんの誇りは『仲間...
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 7月 2012
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2012_07_01_archive.html
小さい頃から僕は、ゲーム『信長の野望』シリーズをこよなく愛し数々の大名になりきって全国統一を果たしてきたが、相馬氏とは全くの無縁だった。小大名ゆえの困難さに加え、伊達氏、北条氏、上杉氏等近隣諸国の有力大名に囲まれている地理的難しさがあったからだ。そんな僕はゲームを通り越して末裔の方とお会いする機会を得た。その人は生きている時間の流れが一般人の僕とは驚くほど違っていた。 その人とは旧相馬藩の相馬家の三十四代当主、相馬行胤さん。初めてお会いしたのは昨年の卯月、中村神社にて。その頃相馬さんは相馬市での物資の配給に奔走していた。当時のお姿は無論、甲冑や袴を身に纏っていたわけではなく至って普通の市民の出で立ち。相馬家の当主の面影はなく最初拍子抜けしたのだが、お話を伺うと、旧藩領のこと、野馬追のことを熱く、それは熱く語って下さった。 市民が困難な時に手を差し伸べるのは当たりまえ、この震災を機に念願の楢葉より先の領土を手に入れようという冗談を織り交ぜ、野馬追開催に関しては野馬追とは「市民を守るため」に長年開催されてきたものであり、この危機的状況のな...
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 不動
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小高名物の野馬追火祭り。 夕闇に凱旋した武士たちを沿道に焚かれた篝火と火の玉とが出迎える。 古来より絶やすことなく灯していた火。 今年は小高の地で武士を迎えることもできなければ、火を焚くことさえ叶わなかった。 代わりに今年は原町のお祭りで小高の火祭りが再現された。 小規模ながら闇夜に燈された火の玉は夏夜の微風に揺らめき幻想的だった。 お祭も終盤に差し掛かった頃、火種が切れた火の玉が一つ、また一つと朽ちていった。 風前の燭のなか、懸命に燃えようとする火々があった。 動かざる様は、まるで火が伝統を絶やすことを頑なに拒んでいるようだった。 ラベル: 魂ノ記録~「わたしの誇り」. 魂ノ記録~「わたしの誇り」. 写真家。ビルマ移民の写真プロジェクトを製作するかたわら、東日本大震災後の東北に生きる人々の魂を撮影する『私の誇り』に取り組み始めた。 Photographer based in Tokyo.He`s been woprking on a photo documentary about Burmese migrant. Simple テンプレート. Powered by Blogger.
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魂ノ記録~高橋かつおが出逢った人々: 背負い人
http://katsuotakahashi.blogspot.com/2012/07/blog-post.html
小さい頃から僕は、ゲーム『信長の野望』シリーズをこよなく愛し数々の大名になりきって全国統一を果たしてきたが、相馬氏とは全くの無縁だった。小大名ゆえの困難さに加え、伊達氏、北条氏、上杉氏等近隣諸国の有力大名に囲まれている地理的難しさがあったからだ。そんな僕はゲームを通り越して末裔の方とお会いする機会を得た。その人は生きている時間の流れが一般人の僕とは驚くほど違っていた。 その人とは旧相馬藩の相馬家の三十四代当主、相馬行胤さん。初めてお会いしたのは昨年の卯月、中村神社にて。その頃相馬さんは相馬市での物資の配給に奔走していた。当時のお姿は無論、甲冑や袴を身に纏っていたわけではなく至って普通の市民の出で立ち。相馬家の当主の面影はなく最初拍子抜けしたのだが、お話を伺うと、旧藩領のこと、野馬追のことを熱く、それは熱く語って下さった。 市民が困難な時に手を差し伸べるのは当たりまえ、この震災を機に念願の楢葉より先の領土を手に入れようという冗談を織り交ぜ、野馬追開催に関しては野馬追とは「市民を守るため」に長年開催されてきたものであり、この危機的状況のな...
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